東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)135号 判決 1985年4月30日
原告 澤中アキヱ
被告 国 ほか一名
代理人 林茂保 可部丈雄 ほか四名
主文
1 原告の被告社会保険庁長官に対する訴えを却下する。
2 原告の被告国に対する請求を棄却する。
3 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告の請求の趣旨
1 被告国は、原告に対し、金三六〇万円及びこれに対する昭和五七年四月二一日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告社会保険庁長官(以下「被告長官」という。)が昭和五七年四月一四日付で原告に対してした船長保険被保険者澤中健司の職務上の死亡による遺族一時金を支給しない旨の処分を取り消す。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
4 1項につき、仮執行宣言
二 被告長官の本案前の答弁
主文1、3項と同旨
三 被告らの請求の趣旨に対する答弁
1 原告の被告らに対する請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
3 被告国についての仮執行宣言につき担保を条件とする仮執行免脱の宣言
第二当事者の主張
一 原告の請求の原因
1 澤中健司(昭和二二年四月九日生)は、有限会社太平丸漁業部(宮城県塩釜市新浜町一丁目一七番二八号所在、代表取締役鈴木喜善)に雇用され、船員保険の被保険者となつていた者であるが、漁船「第一太平丸」に乗船中、右漁船が遭難して沈没したため、昭和五五年一二月二四日行方不明となつた。第二管区海上保安部長森孝顕は、昭和五六年一〇月二〇日付死亡報告通知書をもつて右有限会社太平丸漁業部に対し、澤中健司は昭和五五年一二月二四日午後一〇時ごろ宮城県桃生郡大須崎燈台から六七度三、六海里付近の海上で死亡したと青森県八戸市長に報告した旨を通知した。同市長は、右死亡報告によつて、昭和五六年一〇月二六日澤中健司死亡として除籍した。
2 原告は、昭和五六年一一月一一日に被告長官に対し、澤中健司の死亡は「職務上」の死亡であり、原告は右の者と生計維持関係にあつた者であるとして、船員保険法二三条の三、四二条の三の規定に基づき、船員保険遺族一時金の請求をした。
3 被告長官は、昭和五七年四月一日付で「請求人は、死亡した被保険者と生計維持関係にあつたとは認められない。」との理由で原告に対し遺族一時金を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をし、右処分は同月二四日原告に通知された。
4 原告は、これを不服として、同年五月一七日野里菊丸を代理人として、宮城県社会保険審査官に審査請求をしたが、同審査官は、同年六月一五日請求を棄却する旨の決定をした。右決定書謄本は、同月一七日に原告代理人野里菊丸に送達された。
原告は、右決定を不服として、同年一一月一二日小島直三郎を代理人として、社会保険審査会に再審査請求をしたが、同審査会は、昭和五八年六月三〇日付で右請求は請求期間六〇日を経過してされた不適法なものであるとしてこれを却下する決定をし、その決定書謄本は、同年七月一三日に原告代理人小島直三郎に送達された。
5 しかし、原告は、澤中健司の死亡時、同人と生計維持関係にあつた者であるから、同人の死亡により、船員保険法二三条の三、四二条の三の規定に基づいて、直接被告国に対し、右健司の最終標準報酬月額(一〇万円)の三六か月分合計三六〇万円の遺族一時金を請求する権利を取得した。
6 右のとおり、原告が、船員保険法の規定によつて直接遺族一時金請求権を取得したとする理由は、次のとおりである。
すなわち、同法は、同法による療養給付等の給付や、支給金の支給をするについて、同法に定める要件を充足するほかに、厚生省や社会保険庁長官等の行政官庁によつて受給権の裁定をすることを要する趣旨の明文の規定を置いていない。したがつて、同法に基づく給付請求については、給付権者は、社会保険庁長官等による裁定を経ることなく、法定の要件が充足されれば、直接国に対し、同法上の給付金の支払いを請求できると解するのが相当である。
厚生省設置法(昭和五八年法律第七八号による改正前、以下同じ。)五条六二号には、社会保険庁長官の権限として、「政府の管掌する健康保険又は日雇労働者健康保険、厚生年金保険若しくは船員保険の保険給付を受ける権利を裁定し、保険給付の決定を行ない、及び保険料を徴収すること」との定めがある。しかしながら、この規定は、社会保険庁長官に裁定の一般的権限を認めたにとどまるのであつて、同庁長官が、具体的な場合に裁定権限を有するか否かは、各個の根拠法規においてこれが設定されているか否かにかかわるものというべきである。
なお、厚生年金保険法については、三三条に、明文で社会保険庁長官の裁定権限が認められているところ、右規定は、昭和二九年の同法全文改定により新設されたものであつて、それ以前には右のような明文の規定はなかつたのであるから、当時は、同法上の給付請求も、行政庁の裁定を経ることなく、直接国に対しすることが許されたというべきである(当時の厚生省設置法においては、保険給付を受ける権利の裁定について現在のような定めを置いていなかつた。)。したがつて、厚生年金保険法上の給付請求については、社会保険庁長官の裁定が必要であるからといつて、船員保険法上の給付請求に裁定が必要であるということにはならないのである。
7 また、本件処分は事実の認定を誤つた違法なものであるところ、原告は、次の理由により、裁定を経ないことにつき行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)八条二項三号にいう「正当な理由」がある。
すなわち原告は、審査請求一切を野里菊丸に委任していたところ、同人は棄却決定の決定書謄本の送達を受け、昭和五七年六月二〇日ころ電話で原告にその旨連絡した。原告は、納得できないので再審査請求をしてもらいたい旨右野里に依頼し、同人はこれをする旨約束した。ところが同人は、右決定書謄本送達後六〇日を経過した後の同年八月二五日ころ原告宅を訪れ、以前からの病気が再発したため、資料の収集や調査等ができず、再審査申立ての事務ができないと述べた。原告は、そこで、やむなく再審査申立事務を小泉直三郎に委任して再審査の申立てに及んだのである。
右野里は全くの素人で、かつ病気のため、再審査申立ての依頼を受けながらこれができず、原告は再審査申立てをしたものと考えていたのであり、全くの素人でも代理人と認める現行不服審査手続のもとでは、右審査請求期間の規定を形式的に厳格に適用すれば、国民の権利救済に欠けること明白であるから、右のような事情で右期間を徒過した場合については、裁定を経ないことにつき「正当な理由」があるというべきである。
8 よつて、原告は、請求の趣旨記載のとおりの裁判を求める。
二 被告長官の本案前の答弁の理由
本件処分の通知、これに対する審査請求、その棄却決定の決定書謄本の送達、再審査請求及びその却下決定の決定書謄本の送達については、請求原因3及び4項に記載のとおりであつて、右事実によれば、原告の再審査請求は、六〇日の請求期間(社会保険審査官及び社会保険審査会法三二条一項)経過後にされたものとして不適法であるところ、原告主張の裁決を経ないことについての正当理由は、要するに代理人の野里菊丸の病気のため、審査請求期間が経過したというに過ぎないのであつて、到底「正当な理由」となり得ないというべきである。また、原告としては、再審査請求期間の徒過に正当な理由(同法四条一項但書)があるというのであれば、これなしとして再審査請求を却下した社会保険審査会の裁決の取消しを求めるべきである。
よつて、被告長官に対する本件訴えは、再審査請求の前置を欠くものとして、不適法である。
三 被告らの請求原因事実に対する認否
請求原因事実中、本件処分が原告に通知された日は知らない。澤中健司の最終標準報酬月額及び原告が右健司と生計維持関係にあつたとの点は否認する。
右健司の最終標準報酬月額は七万二〇〇〇円である。その余の請求原因事実は認める。
四 被告国の本案に関する主張
船員保険法四二条の三等の規定に基づく船員保険遺族一時金は、受給要件を充足した者の請求により(船員保険法施行規則七四条の五)、これを社会保険庁長官が裁定することとされている(厚生省設置法五条六二号)。
したがつて、受給権者が一時金給付を受けるためには、社会保険庁長官に対する裁定の請求が必要であり、また、社会保険庁長官の支給する旨の裁定のない限り、具体的な請求権は発生しないのである。
なお、船員保険法には、厚生年金保険法三三条のような、社会保険庁長官の裁定権限を認める規定が置かれていないが、これは、船員保険法については、厚生年金保険法のような全文改正がいまだ行われず、規定の整備がされていないことによるものである。ちなみに厚生年金保険法三三条は、昭和二九年の同法全文改正の際に新設されたものであつて、それ以前の同法の規定は、現行の船員保険法の規定と同様であつたが、当時においても、厚生年金保険法上の年金等の支給請求には、厚生大臣の裁定が必要であるものとして運用がされていたのであつて(当時は、厚生省設置法にも、現行の五条六二号のような、保険給付を受ける権利の裁定について規定はなかつた。)、右厚生年金保険法全文改正による三三条の新設は、厚生大臣の裁定権限及び裁定は請求書の提出によつて行うものであることを明確にしたというにつきるものであつたのである。船員保険法については、右厚生年金保険法のような全文改正が行われず、昭和三七年の社会保険庁設置に伴う関連法律の改正の一環として厚生省設置法五条六二号が、現行のように改正され、社会保険庁長官の裁定権限が明確にされたにとどまつているが、船員保険法上の各種給付の請求における権利の取扱いについては、形式的にも実質的にも厚生年金保険法等と異なるものではないのである。
したがつて、原告の被告国に対する請求は、その主張する請求権が発生していないから、理由がなく、これを棄却すべきである。
第三証拠 <略>
理由
一 原告の被告長官に対する訴えについて
本件処分の審査請求に対する決定書謄本が原告の代理人野里菊丸に昭和五七年六月一七日送達されたこと及びその再審査請求が原告の代理人小島直三郎によつて同年一一月一二日にされたことは、当事者間に争いがなく、右事実は、再審査請求の日を除き、<証拠略>によつてこれを認めることができ、また、再審査請求の日は、<証拠略>によつて同年一一月一五日であつたものと認められる。
右事実によれば、本件処分に対する再審査請求は、審査請求に対する社会保険審査官の決定書の謄本が送付された日の翌日から起算して六〇日以内にされていないことが明らかであり、したがつて、本件訴えは、再審査請求に対する社会保険審査会の裁決を経ていないものとして、不適法となる(社会保険審査官及び社会保険審査会法三二条一項、船員保険法六三条一項、六六条、行訴法八条一項但書)。
原告は、右裁決を経ていないことについては、行訴法八条二項三号という「正当な理由」があると主張するが、その事由として主張するところは、原告の代理人となつた者が病気になつたため、期間内に再審査請求の手続ができなかつたというにとどまるのであつて、代理人が病気になつたからといつて本人が免責されるものでないことは、いうまでもないところであるから、右事由の存在をもつてしては、到底、原告に裁決を経ないことについての正当な理由があつたものとすることはできない。
そうすると、原告の被告長官に対する訴えは、不適法としてこれを却下すべきものといわなければならない。
二 原告の被告国に対する請求について
原告は、船員保険法四二条ノ三第一項、二三条ノ三等の規定により澤中健司の死亡によつて直ちに遺族一時金の支給を受ける請求権を取得したと主張する。
しかしながら厚生省設置法五条六二号、三六条の三第二項、三六条の四によれば、社会保険庁長官は、船員保険の保険給付を受ける権利を裁定する権限を有することとされ、かつ、船員保険法六三条一項によつて保険給付に関する処分に対しては、行政不服審査法上の審査請求、再審査請求をすることができることとし(同法六五条参照)、更に、右処分の取消しの訴えについては、裁決前置主義を採用しているのであつて(同法六六条)、これらの規定からすれば、法は、船員保険法上の保険給付については、社会保険庁長官の裁定によつて初めて具体的な受給権が発生するとしているものと解するのが相当である。原告は、船員保険法には、社会保険庁長官の裁定権限を認めた規定が存しないことをもつて、その主張の根拠とするが、右のとおり厚生省設置法には右権限を認める規定がおかれているのであつて、裁定権限について、保険給付の根拠となつた当該法律にこれを認める規定がなければならないとする理由は必ずしもないというべきであるから、原告の右主張はこれを採用することができない。そして、船員保険法施行規則には、社会保険庁長官に対する保険給付の請求手続に関する規定が置かれているが、これは、右法律の規定を受けて、裁定を受ける手続を施行細目として規定したものと解されるのであつて、これら各規定により、保険給付の請求手続が法令上明確にされているものというべきである。
そうすると、原告は、いまだ社会保険庁長官により保険給付に関する裁定を受けていないのであるから、被告国に対してこれを請求する権利を有しないものというべく、原告の同被告に対する請求は、結局、理由なきに帰するものといわなければならない。
三 結論
よつて、原告の被告長官に対する訴えは不適法としてこれを却下し、被告国に対する請求は理由がないものとしてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民事訴訟法八九案を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宍戸達徳 中込秀樹 金子順一)